Ayn Rnad オブジェクティビズム アメリカの個人主義
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Ayn Rnad
アイン・ランド
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客観主義:のための哲学地球に住む
「私の哲学は本質的に、人間は英雄的な存在であり、自分自身の幸福を人生の道徳的目的とし、生産的な成果を最も崇高な活動とし、理性を唯一絶対とするという概念である。」—アイン・ランド
アイン・ランド協会↑
アイン・ランド wikipedia 日本語版
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次の大作『水源』(The Fountainhead)を書いた後の休み中には、短篇小説『アンセム』(Anthem)を書いている。『アンセム』には、全体主義的な集産主義が勝利した結果、「I(私)」という言葉さえ忘れ去られ「We(私たち)」という言葉に取って代わられた、ディストピア的な未来像が描かれている[37]。この小説は1938年にイングランドで出版されたが、アメリカでは当初この小説を出版してくれる出版社が見つからなかった。『われら生きるもの』の場合と同様、その後『水源』がベストセラーになったおかげで、ランドは1946年にこの小説の改訂版を出版できた。『アンセム』の販売部数は350万部を超えている[38]。
思想[編集]
ランドは自らの思想を「オブジェクティビズム」 と呼んだ。ランドによれば、オブジェクティビズムの本質は「人間を英雄的存在と見なす人間観」であり、この人間観によれば、「自己の幸福の追求が人生の正しい目的であり、生産的な達成が人間にとって最も崇高な活動であり、理性が人間にとって唯一の絶対的基準である」とされた[94]。ランドはオブジェクティビズムを一つの思想体系と見なし、自らの主張を形而上学、認識論、倫理学、政治思想、および美学に展開した[95]。
形而上学においては実在論を支持し、神秘主義あるいは超自然主義(と彼女が見なす立場)には、あらゆる形態の宗教を含め、すべて反対した[96]。認識論においては、感覚を通じた知覚、および理性を、すべての知識の基礎と見なした。ランドは、感覚を通じた知覚の妥当性を、自明と見なした[97]。理性を、「人間の五感を通じて提供される素材を識別し、統合する能力」と説明した[98]。「直覚」、「直観」、「啓示」、あるいは「ただわかる」といった、非知覚的知識あるいは先験的知識の存在を主張する立場を、すべて拒絶した[99]。ランドは「オブジェクティビズム認識論入門」(Introduction to Objectivist Epistemology)において概念形成の理論を提示し、分析/総合の二分論の否認を支持した[100]。
倫理学においては、道徳原理として合理的エゴイズム(合理的利己)を主張した。ランドは、個人は「自己を他者の犠牲にすることも、他者を自己の犠牲にすることもなく、自己自身のために存在する」べきであると述べた[101]。ランドは『利己主義という気概』(The Virtue Of Selfishness)という著書で、エゴイズムを「自己本位であることの美徳」(the virtue of selfishness) と呼んだ[102]。この著書でランドは、is-ought問題(「-である」という命題からの推論で「-すべき」という命題を導く矛盾)に対する彼女の解決を示した。その解決は、道徳の基盤を「人間が人間として生存する必要性」[103]に置くメタ倫理学に依拠するものであった。ランドは道徳的利他主義を、人間の生命および幸福に対する要求と相容れないとして、非難した[104]。自分の側からの強制力の行使 (the initiation of force) は邪悪かつ不合理であると考え、『肩をすくめるアトラス』の中で「強制と精神は相反する」 (Force and mind are opposites) と書いた[105]。
ランドの政治思想においては、財産権を含む個人の権利が強調された[106]。ランドは、自由放任資本主義を唯一の道徳的な社会システムと見なした。彼女の見解では、自由放任資本主義が、個人の権利を保護を基盤とする唯一の社会システムだったからである[107]。国家主義には反対した。ランドが考える国家主義には、神権政治、絶対君主制、ナチズム、ファシズム、共産主義、民主社会主義、独裁制も含まれた[108]。ランドは、強制力による権利の実現は、憲法による制限を受けた政府のみが行うべきであると信じた[109]。政治に関するランドの見解は、しばしば保守またはリバタリアニズムに分類されるが、彼女自身が好んだ呼称は「資本主義徹底派」(radical for capitalism) であった。ランドは政治運動で保守派と協働したが、宗教や倫理などの問題では、保守派に同意しなかった[110]。リバタリアニズムを無政府主義と同類視して非難した[111]。無政府主義は、主観主義に基づくナイーブな理論であり、実践においては集産主義にしかつながらないとして退けた[112]。
ランドの美学は、「芸術家による形而上学的価値判断に基づく、現実の選択的再創造」(selective re-creation of reality according to an artist's metaphysical value-judgments)として定義される。芸術は、哲学的概念を、人々が把握しやすい形式に具現化することによって、人間の意識のニーズを満たすものであると述べた[113]。作家としてランドが最も力を注いだ芸術形式は文学であり、ロマン主義を、文学において人間の自由意志の存在を最も正確に反映するアプローチと見なした[114]。ランドは自分の文学へのアプローチを「ロマン主義的写実主義」(romantic realism) と称した[115]。
ランドはアリストテレスに最も大きな影響を受けたと認めている[116]。哲学の歴史上推薦できるのは、アリストテレス、アクィナス、アイン・ランドの「3人のA」だけだとも述べた[117]。事実ランドがアリストテレスに負うところは大きく、マイク・ウォレスによる1959年のインタビューで、ランドは「私が精神的に恩義を受けていることを認めるのは、アリストテレスだけです。アリストテレスは、私がこれまで影響を受けた唯一の哲学者です。アリストテレスの影響による部分を除き、私は自分の思想を、自分自身で築き上げました」と答えている[118]。ただしランドは、若い頃にフリードリヒ・ニーチェからインスピレーションを受けてもいる[119]。研究者によると、ニーチェの影響は、ランドの日記の初期の記述や[120]、後にランドが改訂した『われら生きるもの』(We the Living)の初版の文章や[121]、彼女の叙述スタイル全体などに見いだされる[122]。ただしランドは、『水源』(The Fountainhead)執筆時までには、ニーチェの考えを拒絶するようになっている[123]。また、初期ランドがどの程度ニーチェの影響を受けたかについては、疑問が出されている[124]。ランドが特に軽蔑した哲学者の中には、イマヌエル・カントもいた。ランドはカントを「モンスター」と呼んでいる[125]。ただし、哲学研究者のジョージ・ウォルシュ (George Walsh)[126]とフレッド・セドン (Fred Seddon)[127]は、ランドがカントを誤解し、見解の相違を誇張していたと主張している。
ランドは、哲学への自分の最も重要な貢献は、「概念論と、倫理学。それから悪、すなわち権利の侵害は、自分の側から強制力の使用によって存立するという、政治学上の発見」であると述べている[128]。認識論は哲学の根本をなす部門の一つと信じ、理性の賞揚を自分の哲学の最も重要な側面と見なした[129]。「私は資本主義の擁護者というよりはエゴイズムの擁護者であり、エゴイズムの擁護者であるというよりは理性の擁護者である。理性の至高性を認め、これを一貫して適用すれば、残りは当然のこととして導かれる」と述べた[130]
反響と遺産[編集]
レビュー[編集]
ランドの作品は、彼女の存命中から、強烈な賞賛と非難の両方を巻き起こした。最初の小説『われら生きるもの』(We the Living)は、文芸評論家H.L.メンケン (H.L. Mencken) に賞賛された[131]。ブロードウェイで上演された演劇「1月16日の夜に」(Night of January 16th)は、批評家からも観客からも好評だった[132]。『水源』(The Fountainhead)は、「ニューヨーク・タイムズ」(The New York Times)紙のレビューアーから「偉大」(masterful) と評された[133]。ランドの小説の出版当時には、冗長でメロドラマ的であると嘲る批評家もいた[5]。それでもランドの小説は、主に口コミを通じてベストセラーになった[134]。
ランドが最初にレビューを受けた作品は「1月16日の夜に」(Night of January 16th)だった。この劇に対しては、おおむね肯定的なレビューが寄せられた。しかしランドは、肯定的なレビューにも決まりの悪い思いをしていた。この劇の上演にあたり、プロデューサーが彼女の脚本を大幅に変更していたからである[132]。ランドは、最初の小説『われら生きるもの』(We the Living)には多くのレビューが書かれなかったと信じていた。しかしランド研究者のマイケル・S・ベルリナーは、この小説に対して、200以上の出版物で約125件のレビューが公開されていることを明らかにした。ベルリナーは、「『われら生きるもの』はランドの作品の中で最も多くのレビューが書かれた小説である」と述べている。『われら生きるもの』に対するレビューは、全体として、後のランドの作品に対するレビューよりも肯定的だった[135]。1938年に出版された短篇小説『アンセム』(Anthem)は、イングランドで出版された初版も、その後の改訂版も、レビューアーにはほとんど注目されなかった[136]。
ランドの最初のベストセラー『水源』(The Fountainhead)は、『われら生きるもの』に比べ、書かれたレビューの数がはるかに少なかった。レビューアーの意見もまちまちだった[137]。「ニューヨーク・タイムズ」(The New York Times)紙に掲載された肯定的なレビューの一つは、ランド自身も高く評価した[138]。このレビューの書き手は、ランドを「きらびやかに、美しく、痛烈に」書く「すばらしい力を持つ作家」と呼び、「この偉大な作品を読めば、我々の時代における基本的な概念のいくつかについて考え抜かずにはいられないだろう」と述べた[133]。他にも肯定的なレビューはあったが、ランドはそれらのほとんどを、自分のメッセージを理解していない、もしくは掲載紙誌がマイナーであるとして、無視した[137]。否定的なレビューのいくつかは、この小説の長さを批判していた[5]。たとえば、あるレビューアーはこの小説を「本の鯨」と呼び、別のレビューアーは「この小説に入れ込む人間には、紙の配給に関する厳しい授業を受けさせる必要がある」と書いた。登場人物に同情心がないと批判するレビューアーや、ランドの文体を「不快なほど単調」と批判するレビューアーもいた[137]。
1957年に出版された『肩をすくめるアトラス』(Atlas Shrugged)には多数のレビューが書かれた。多くのレビューが、この小説にきわめて否定的だった[5][139]。保守派の批評家ホイタッカー・チェンバース (Whittaker Chambers) は、「ナショナル・レビュー」(National Review)誌でこの小説を「青臭く」「とんでもなく愚かしい」と評した。チェンバースは、この小説が「救済のない刺々しさ」に貫かれていると述べ、ランドが神を排した体制(チェンバースによればソビエトに類する体制)を支持していると非難し、「『肩をすくめるアトラス』のほぼすべてのページから、痛ましい必然による命令として聞こえてくる声がある。『ガス室に行け!』の声だ」と述べた[140]。『肩をすくめるアトラス』に対する肯定的なレビューも、いくつかの出版物で書かれた。たとえば著名な書評家ジョン・チェンバレン (John Chamberlain) は、この小説を賞賛した[139]。しかし、後にランド研究者のミミ・リーセル・グラッドスタイン (Mimi Reisel Gladstein) が書いたところによれば、「レビューアーたちは、まるで酷評の巧みさを競い合うかのようだった。彼らは『肩をすくめるアトラス』を“忌むべきはったり”と評したり、“悪夢”と評したりした。この小説が“憎悪によって書かれている”と述べたり、“無慈悲な弱い者いじめと冗長さを示している”などと述べたりした」[5]。作家のフラナリー・オコナー(Flannery O'Connor)は、友人への手紙で「アイン・ランドのフィクションはおよそ考えられる中で最低のフィクションだ。地下鉄で拾い上げたらすぐそばのクズ箱に直行だろう」と書いた[141]。
ランドのノンフィクションについて書かれたレビューは、彼女の小説について書かれたレビューより、ずっと少なかった。ランドの最初のノンフィクション『新しい知識人のために』(For the New Intellectual)に対する批判の趣旨は、『肩をすくめるアトラス』(Atlas Shrugged)に対する批判の趣旨と、ほぼ同じだった[142][143]。哲学研究者シドニー・フック (Sidney Hook) は、ランドの確信を「ソビエト連邦での哲学の書かれ方」になぞらえた[144]。作家ゴア・ヴィダル (Gore Vidal) は、ランドの見解を「その不道徳性においてほぼ完璧」と評した[145]。その後の著書は、発刊するたびにレビューアーから注目されなくなった[142]。
2005年、アイン・ランド生誕100年にあたり、評論家のエドワード・ロスタイン (Edward Rothstein) は「ニューヨーク・タイムズ」(The New York Times)紙で、ランドのフィクションは古風でユートピア的な「レトロ・ファンタジー」であり、理解され損ねた芸術家によるプログラム的新ロマン主義であると述べた。またロスタインは、ランドの小説の登場人物たちによる「民主社会に対する孤立した拒絶」を批判した[146]。2007年、書評家のレスリー・クラーク (Leslie Clark) はランドのフィクションを「擬似哲学の青さびが付いたロマンス小説」と評した[147]。2009年、男性向けファッション・ビジネス・カルチャー誌「GQ」コラムニストのトム・カーソン (Tom Carson) は、ランドの著書を、『ベン・ハー』(Ben-Hur)や『レフトビハインド』(Left Behind)シリーズと同類の、「資本主義版のミドルブロー(中程度知識層向け)宗教小説」と評した[148]。
大衆への浸透[編集]
1991年、アメリカ議会図書館と米国最大の書籍通販組織「ブック・オブ・ザ・マンス・クラブ」(the Book-of-the-Month Club) は、同クラブ会員に「人生で最も影響を受けた本」を尋ねる調査を行った。この調査でランドの『肩をすくめるアトラス』(Atlas Shrugged)は、聖書に次ぎ2番目に多くの票を集めた[149]。また、1998年のランダムハウス/モダンライブラリーの「アメリカの一般読者が選んだ20世紀の小説ベスト100」[150]で『肩をすくめるアトラス』が第一位、『水源』が第二位を獲得し、また10位内に4つの作品がランクインした[151]。ランドの著書は現在も幅広い読者に購入され、読まれ続けている。販売総部数は2013年時点で2,900万部を超える。なお販売総部数の約10%は「アイン・ランド協会」(The Ayn Rand Institute) による学校への寄贈用である[152]。ランドの影響が最も大きいのは米国であるが、彼女の作品は世界中で関心を引いている[153]。インドでは現在もランドの作品がベストセラーに名を連ね続けている[154]。
同時代でランドを賞賛した作家には、アイラ・レヴィン (Ira Levin)、ケイ・ノルティ・スミス (Kay Nolte Smith)、L.ニール・スミス (L. Neil Smith) などがいる。後の世代の作家であるエリカ・ホルツァー (Erika Holzer) やテリー・グッドカインド (Terry Goodkind) も、ランドの影響を受けている[155]。人生や思想の上でランドに重要な影響を受けたことを公言しているアーチストには、他に漫画家のスティーヴ・ディッコ (Steve Ditko) や[156]、ハードロック/プログレッシブ・ロックバンドのラッシュ (Rush) のドラマー、ニール・パート (Neil Peart) などがいる[157]。ランドはビジネスを肯定的に描いて見せた。このため経営者や起業家の中にも、ランドの作品を賞賛する者や、ランドの作品の普及に努める者は多い[158]。銀行持株会社BB&Tのジョン・アリソン (John Allison)や、スポーツ・エンタテイメント会社コムキャスト・スペクタカー (Comcast Spectacor) のエド・スナイダー (Ed Snider) は、ランドの思想の普及活動に資金を拠出した[159]。他にもプロバスケットボールチームのダラス・マーベリックス (Dallas Mavericks) のオーナー、マーク・キューバン (Mark Cuban) や、食料品スーパーマーケットチェーンのホールフーズ・マーケットのCEO、ジョン・P.マッキー (John P. Mackey) など様々な経営者・起業家が、自分の成功にランドが重要な役割を果たしたと述べている[160]。
ランドとその作品は、アニメ、ライブコメディ、ドラマ、ゲームショーを含むテレビ番組[161]や、映画、ビデオゲーム[162]など、様々なメディアで取り上げられている。ランドやランドをベースにしたキャラクターは、米国の著名な作家達による様々な文芸作品やSFに登場し、(肯定的であれ否定的であれ)大きな存在感を示している[163]。「リーズン」(Reason)誌の編集主幹であるニック・ギレスピー (Nick Gillespie) は、「ランドの名声は、虐げられた形で不滅になっています。様々な作品に登場しているランドには、まるで主人公のようなインパクトがあります」、「ランドを冷酷で非人間的と非難することは、大衆文化に浸透しきっています」と述べている[164]。ランドの生涯については2本の映画が制作されている。ドキュメンタリー映画「アイン・ランド:ア・センス・オブ・ライフ」(Ayn Rand: A Sense of Life、1997年)は、アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされた[165]。1999年に制作されたテレビドラマ「ザ・パッション・オブ・アイン・ランド」(The Passion of Ayn Rand)は、バーバラ・ブランデン (Barbara Branden) による同名の伝記(1986年)をドラマ化したもので、複数の賞を受賞した[166]。ニック・ガエターノ (Nick Gaetano) がデザインしたランドの肖像画は、米国の切手にもなった[167]。
政治的影響[編集]
ランド自身は「保守」や「リバタリアン」に分類されることを拒否していたにもかかわらず[168]、ランドは右派政治運動やリバタリアニズムに強い影響を与え続けている[7]。ケイトー研究所 (Cato Institute) の上級研究員、ジム・パウエル (Jim Powell) は、近代におけるアメリカのリバタリアニズムにおいて最も重要な3人の女性として、ローズ・ワイルダー・レイン (Rose Wilder Lane)、イザベル・パターソンと共にアイン・ランドを挙げている[169]。リバタリアン党の創設者の1人、デヴィッド・ノーラン (David Nolan) は、「アイン・ランドがいなかったら、リバタリアン運動は存在しなかっただろう」と述べている[170]。ジャーナリストのブライアン・ドハティ (Brian Doherty) は、リバタリアン運動の歴史を記述する中で、ランドを「20世紀のリバタリアンの中で社会全体に最も大きな影響を与えた人物」と呼んでいる[149]。伝記作家のジェニファー・バーンズ (Jennifer Burns) は、ランドを「右派の人生への究極のゲートウェイドラッグ」と呼んだ[171]。
ウィリアム・F.バックリー・ジュニア(William F. Buckley, Jr.)をはじめとする「ナショナル・レビュー」(National Review)誌の寄稿者達は、ランドを厳しく批判していた。1950年代から1960年代にかけて、同誌にはウィテカー・チェンバース (Whittaker Chambers)、ゲイリー・ウィルズ (Garry Wills)、およびM.スタントン・エヴァンズ (M. Stanton Evans) による多数の批判が掲載された。しかしランドの保守派への影響があまりにも大きかったため、バックリーをはじめとする「ナショナル・レビュー」誌寄稿者達も、伝統的価値観念やキリスト教的精神と資本主義の擁護をどうすれば統合できるか、再検討することを迫られた[172]。
妊娠中絶合法化を支持し、神の存在を否定するなど、ランド自身は保守派としては典型的ではない立場も取っている[173]。しかし政治の世界でランドからの影響を公言する人物は、一般に保守派で、米国共和党の党員であることが多い[174]。1987年に「ニューヨーク・タイムズ」(The New York Times)紙に掲載された記事で、ランドはレーガン政権の「桂冠小説家」(novelist laureate) と呼ばれていた[175]。共和党連邦議会議員や保守派の政治評論家も、ランドの影響を受けたことを認め、ランドの小説を推薦している[176]。
2000年代末の金融危機は、ランドの作品、特に『肩をすくめるアトラス』(Atlas Shrugged)への新たな関心を呼び起こした(この金融危機が『肩をすくめるアトラス』で予見されていたと見る者もいた)[177]。現実の世界の出来事とこの小説のプロットを比較する、様々な論説が書かれた[178]。同じ時期、ティーパーティー運動参加者の中に、ランドや彼女の小説の主人公ジョン・ゴールトに言及するプラカードを掲げる者が多く見られた[179]。同時に、ランドの思想に対する批判も、政治的左派を中心に高まった。批判者達は、ランドによる利己主義と自由市場の擁護が、特にアラン・グリーンスパンへの影響を通じ経済危機を引き起こしたと非難した[180]。たとえば「マザー・ジョーンズ」(Mother Jones)誌は「伝統的なヒエラルキーを逆さにし、 富や才能や権力を握る人々を被抑圧者に変えて見せるのが、常にランドの特殊な才能だった」と論じ[173]、「ネイション」(The Nation)誌は「ランディアニズムの道徳構文法」とファシズムの類似性を主張した[181]。
アカデミズムの反応[編集]
ランドの存命中、彼女の作品はアカデミズムの世界の研究者からはほとんど注目されなかった[6]。ランドの思想に関する最初の学問的書物は、1971年に出版された。その著者は、ランドについて書くことは、ランドを真剣に取り扱ったことでランドとの「連座による罪」に問われかねない「危険な企て」であると述べた[182]。1982年にランドが死去する前に、ランドの思想に関するいくつかの論文が学術誌に掲載されているが、その多くは「ザ・パーソナリスト」(The Personalist)誌に掲載されたものだった[183]。リバタリアンの哲学研究者ロバート・ノージック (Robert Nozick) による「ランディアンの主張について」(On the Randian Argument)はその一つである。この論文でノージックは、形而上学におけるランドの主張に不備があり、デイヴィッド・ヒューム (David Hume) が提起したis-ought問題が解決されていないと論じた[184]。「パーソナリスト」誌には、ノージックに対する他の哲学研究者からの反論も掲載された。反論者達は、ノージックがランドの立場を誤って述べていると主張した[183]。ランドの存命中、文学者としてのランドを学問的に検討した論考は、さらに限られていた。演劇研究者のミミ・グラッドスターン (Mimi Gladstein) が1973年にランドの研究を開始した当時、ランドの小説に関する学術論文は1本も見つからなかった。1970年代を通じて発表された文学者としてのランドの研究論文は3本だけだった[185]。
ランドの死去後、ランドの作品への関心は徐々に高まった[186]。歴史家のジェニファー・バーンズ (Jennifer Burns) によれば、これまでランドに対する研究者達の関心には「重なり合う3つの波」があり、その内最も新しい波は2000年以来の「学問的研究の爆発」(an explosion of scholarship) である[187]。ただし現在、ランドやオブジェクティビズムを哲学上の専門や研究分野に含める大学はほとんど存在しない。多くの文学科や哲学科では、ランドは大衆文化現象と見なされ、真剣な研究の対称として扱われていない[188]。
学術機関でランドの作品について教授している研究者としては、グラッドスタイン (Gladstein)、クリス・マシュー・スカバラ (Chris Matthew Sciabarra)、アラン・ゴットヘルフ (Allan Gotthelf)、エドウィン・A.ロック (Edwin A. Locke)、タラ・スミス (Tara Smith) などがいる。スカバラは、ランドの哲学的および文学的業績の研究に貢献する超党派の査読付き定期刊行誌である「ザ・ジャーナル・オブ・アイン・ランド・スタディーズ」(The Journal of Ayn Rand Studies)の、共同編集者を務めている[189]。1987年、ゴットヘルフは、ジョージ・ウォルシュ (George Walsh)およびデヴィッド・ケリー (David Kelley) と共に「アイン・ランド・ソサイアティ」(Ayn Rand Society) の創設を支援した。ゴットヘルフは、ランドおよびランドの思想に関するセミナーを積極的に後援している[190]。スミスはランドの思想に関する学術的な本および論文を複数書いている。ケンブリッジ大学出版局 (Cambridge University Press) から出版されたランドの倫理論に関する書籍、『アイン・ランドの規範倫理:有徳のエゴイスト』(Ayn Rand's Normative Ethics: The Virtuous Egoist)はその1つである。ランドの思想は、クレムゾン大学およびデューク大学でも研究対象になっている[191]。英米文学の研究者はランドの作品をほぼ無視している[192]。ただし1990年代以降は、ランドの作品に注目する研究者が増えている[193]。
ランド研究者のダグラス・デン・アイル (Douglas Den Uyl) とダグラス・B.ラスムッセン (Douglas B. Rasmussen) は、ランドの思想の重要性と独自性を強調する際、ランドの文体が「文学的、誇張法的、かつ感情的」であると述べた[194]。哲学研究者のジャック・ホイーラーは、ランドの倫理学には「絶え間ない大言壮語とランディアンの噴怒の絶え間ない発散」があるが、この倫理学は「きわめて巨大な業績であり、その研究は他のどの現代思想の研究よりはるかに有益である」と述べた[195]。2001年にジョン・デヴィッド・ルイス (John David Lewis) は、オンライン文学百科事典「リテラリー・エンサイクロペディア」(Literary Encyclopedia)のランドの項で、「ランドは同世代の作家の中で最も知的に挑戦的なフィクションを書いた」と断言した[196]。「ザ・クロニクル・オブ・ハイアー・エジュケーション」(The Chronicle of Higher Education)紙の1999年のインタビューで、スカバラは「彼らがランドを笑うことはわかっている」と述べながら、学術界でもランドの業績への関心が高まると予言した[197]。
哲学研究者のマイケル・ヒューマー (Michael Huemer) は、ランドの思想、特に倫理学は、解釈が困難で論理的な一貫性に欠けており[198]、これに説得される人は非常に少ないと主張した[199]。ヒューマーは、ランドが注目を集めるのは、特に小説家として「人を引き込まずにはいない文章を書く才能」のためであるとしている。『肩をすくめるアトラス』(Atlas Shrugged)がルートヴィヒ・フォン・ミーゼス (Ludwig von Mises)、フリードリヒ・ハイエク (Friedrich Hayek)、フレデリック・バスティア (Frederic Bastiat) といった他の古典的自由主義哲学者の作品だけでなく、ランド自身のノンフィクション作品よりもよく売れるのは、ヒューマーによればランドのこの才能のためである[199]。
政治学者のチャールズ・マーレイ (Charles Murray) は、ランドの文学的業績を賞賛する一方で、ランドが自分の思想をジョン・ロックやフリードリヒ・ニーチェなどの先行する思想家達からも受け継いでいることを認めず、哲学的にアリストテレスにのみ負っていると主張したことを批判している。マーレイによれば、「アリストテレスにわずかばかり助けられただけで、オブジェクティビズムが自分の頭脳から生まれ全面開花したと主張することによって、ランドは現実から乖離しただけでなく、子供じみることにもなってしまった」[200]。
ランドはオブジェクティビズムが統一された思想体系であると主張したが、哲学研究者のロバート・H.バス (Robert H. Bass) は、ランドの中心的な倫理思想が彼女の中心的な政治思想と一貫せず矛盾すると主張した[201]。
オブジェクティビズム運動[編集]
1985年、ランドの相続人レナード・ピーコフは、ランドの思想および作品の伝播を目的とする非営利組織「アイン・ランド協会」(Ayn Rand Institute) を設立した。1990年、哲学研究者のデヴィッド・ケリー (David Kelley) は、「アトラス・ソサイエティ」(The Atlas Society) として知られる「オブジェクティビズム研究所」(Institute for Objectivist Studies) を設立した[202]。2001年、歴史家のジョン・マカスキー (John McCaskey) は、アカデミズムの世界で行われる学問的なオブジェクティビズム研究に資金を提供する「オブジェクティビストの奨学のためのアンセム基金」(Anthem Foundation for Objectivist Scholarship) を組織した[203]。BB&T社の慈善基金も、ランドの思想や作品の教授に資金を提供している。資金の提供を受けている学校には、テキサス大学オースティン校 (The University of Texas at Austin)、ピッツバーグ大学 (University of Pittsburgh)、およびノースカロライナ大学チャペルヒル校 (University of North Carolina at Chapel Hill) などがある。これらの資金提供がランドに関連する研究や教授を条件としていることが、議論になるケースもある[204]。
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保守だが、
宗教や伝統やナショナリズムを否定
全体主義を否定しそこにナチズム・ファシズムと社会主義が含まれる
保守で個人主義
二項対立で割っていく(切っていく)思考構造が顕著だとおもう
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9 Life Lessons From Ayn Rand (Philosophy Of Objectivism)
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